1999年10月号(第34号)

 

介護保険から思う制度の中のはざま

        所 長  辻   英 彦

平成12年4月に施行となる介護保険法が話題にのぼっています。

これに関連する事柄として、自らの意思表示ができない成人の保護に関して、
さまざまな検討と実践が進んでいます。

先日もある会社の専務から、父親である社長の病状が今以上異常に進んだ場合、
不動産担保を提供する意思表示が明確にできなくなったり、
意思は表示できても契約書や登記委任状などに署名できなくなったら、
どうすればよいのかという質問をぶつけられました。

今現在においては、これを適切に処理できる体制が整っているとはいえません。

また、成年後見制度が進んだとしても、
会社代表者たる者が意思表示が明確にできないなどということを
あからさまにできないのが実状です。

このように考えると、
「人の人たる所以」などという哲学的な部分にまで踏み込んだ話になりかねませんが、
実に象徴的なのが法が保護してあげなければならない人々への手続です。

知的障害者が相続人の一人として遺産分割をしようとしても、
その協議書の内容を理解できない、
あるいは自分の氏名を書くことすらもできないのであれば、
それは法的に保護されるべき人であり、
したがって、民法には準禁治産者という制度があるではないかと、ということになります。

しかし、これは、一方で取引の相手方を保護する観点から、
戸籍への記載事項となっていますが。

ということは、
現実には戸籍の公開が制限されている今となっては反対意見も多いでしょうが、
その人が準禁治産者であるということを明らかにしてしまうということであります。

準禁治産者とは、
「心神耗弱者及び浪費者は準禁治産者としてこれに保佐人を附することを得」
(民法第11条。ただし、原文は平仮名部分は片仮名)として、
心神耗弱者であるか、浪費者であるかの別を問うていません。

はたして、このようなままでその知的障害者を準禁治産者にしてしまつてよいのかどうか、
思い悩むことがしばしばです。

このように、制度はあるが、
これを利用しようとは思えない事柄は世の中に非常に多くあります。

本来、その人の保護のために設けられた制度ではあるにしても、
そのことから派生するさまざまなことを考えると、躊躇してしまうのが実状です。

仏つくって魂いれず、の譬えではありませんが、
心の優しい事務所でありたいと願っております。